林真理子さんのエッセイ集『女はいつも四十雀』を本屋さんで見付けて購入した。
その本を読み始めてみると、不思議な感覚にとらわれた。林真理子さんの文章が私の文章と似ている気がするのだ。
もちろん、話の内容のことではない。文のリズム感や文の短さなどの文体の特徴のことだ。
しかし、作家の林真理子さんが素人の私の文体のパクりをするわけがない。
私は本好きではあるが、多読(乱読?)タイプなので、林真理子さんの本を読み込んでいるわけでもない。何故だろう?
しばらく考えていて、思い当たることがあった。
そういえば、私は美容院や歯医者に定期的に行くタイプなのだ。
美容院では、毎回『STORY』が目の前に置かれ、歯医者の待合室では、『週刊文春』が置かれている。
歯医者や美容院に行く度にそれらの雑誌を読むのだが、林真理子さんは、その両方でエッセイの連載を持っている。
つまり、知らず知らずのうちに、私は林真理子さんの文章に定期的に触れていたのだ。
また、いつもと違う空間の限られた時間で文を読む時、その文章は潜在意識に残るものなのかもしれない。
『女はいつも四十雀』のエッセイの書き出しの1つを紹介する。こんな風に始まる。
~もの書きという仕事は、案外しんどいものである。このように本が売れない世の中ならなおさらだ。大きく広告を出してもらい、期待されていたのに新刊書の売れ行きが悪い。原稿がなかなかはかどらない。~
ちなみに、各文章の文字数はというと、22文字、21文字、33文字、13文字、と非常にコンパクトである。
まさに、ブログ向け文章のお手本だ。難しい言葉を使わないため、スラスラ読める。軽快なリズム感も心地よい。
『門前の小僧習わぬ経を読む』ということわざがある。
ふだん、見聞きしていると、いつのまにか、それを学び知ってしまうことの例えだ。
私が管弦楽法を学んでいた時、担当の作曲家の先生が、よく言っていた。
「課題の作曲や編曲の譜面を見ると、その人がどんな種類の音楽を聞いてきたのかが分かるから、とても面白いんだ。」
自分で頭を絞って作ったはずのフレーズでも、何度も聴いている作曲家の特徴や雰囲気が自然に出てしまうのだと言う。
それと同様で、同じ著者の文章に何度も触れていると、自然に書く文章が似てきてしまうことがあるようだ。
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