今日のNHKの朝ドラで、女優の上白石萌歌さんが『椰子の実』を歌っているシーンがあった。
素直な優しい声には、心が和む。癒し系の美しい声だ。けれども、歌い方でモヤモヤする(引っ掛かる)所があった。
『椰子の実』は元々沖縄の歌ではない。日本歌曲だ。大中寅二さんの作曲で、そのピアノ伴奏は寄せる波を感じさせる。
島崎藤村は、伊良湖岬(愛知県)に流れ着いた椰子の実の話を友人(柳田国男)から聞き、それを元に歌詞を書いたという。
日本歌曲を歌う時は、特に日本語の響きや歌詞を大事に歌うことに重点を置く。
メロディーではなくて歌詞を主役として歌うように、と指導を受けたものだ。まず、言葉が見えなければいけないと。
だから、上白石さんの歌い方に少しだけ違和感を感じてしまう。ちなみに、私がモヤモヤした場所は次の2ヶ所だ。
1つ目は、♪ふるさとのきしをは(ここでブレス)、なれて。「離れて」なのに、「は、慣れて」に聴こえる。
2つ目は、♪なれはそもなみにいく(ここでブレス)、つき。幾月なのに、「行く、月」に聴こえる。※汝はそも波に幾月
外国人なら言葉が分からずに、そういうフレーズの処理をしてしまうかもしれない。音楽的には不自然には聴こえない。
もっとも、最近の歌では、歌詞を言葉の途中で切ることは珍しくない。リズムやメロディーが主流になっているからだ。
でも、『椰子の実』は、日本を代表する小説家で詩人でもある島崎藤村が書いた作品なのだ。
歌詞の中の私(我)は、波打ち際の椰子の実と故郷を離れた自分の身の上を重ね合わせている。深い内容の歌詞だ。
言葉を伝えるためには、言葉(単語)の途中では決して息継ぎしないことが最低ルールだ。言葉の切れ目でブレスする。
歌が歌詞の通りに聴こえるように、歌う時は細心の注意と敬意を払おう!と心底思っているのは、私だけなのだろうか?
もっとも、このドラマでは、歌が大好きな普通の女子高生という役柄だ。歌のレッスンは、もちろん未経験の設定だ。
それを考慮すると、言葉を途中で切ってしまう歌い方は、むしろ当たり前で自然である、と言えるかもしれない。
※後日、8月12日放送の朝ドラでの『椰子の実』では、日本語の途中で切らない歌い方に変わっていた。(スッキリ!)
●声楽あるある!
辛いものが食べたーい!
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