読書をする時には、綺麗に読むタイプと書き込みをしながら読むタイプがいる。
私は後者だ。もちろん、図書館の本や借りた本はそのままキレイに読むが、自分で買った本の一部には書き込みをする。
「書き込みしたら、本が売れないじゃない!」と周りの人に言われてしまうこともある。
だが、以前、何十冊とキレイな中古本をBOOK・OFFに持ち込んだ時に、本の買い取り価格は合計で230円だった。
それ以来、ガソリン代をかけて本を安く買い取ってもらうより、書きこんだ方がいいのでは、と思っている。
本を汚さずに読んでいる時は、受け身の状態だ。文章を通してレクチャーを受けている、又は物語を聞かされている感じだ。
でも、読みながら書き込みをすると、著者に相づちを打ったり突っ込みを入れたりするような積極的な姿勢になれる。
何より、読み返した時に、すぐ要点や印象に残った場所が見付かるのが良い。情報収集の点でも時短につながる。
文章を囲んだり、線を引いたり以外に、以前はコメントも記入していたが、最近では代わりに記号も使っている。
良い◎、疑問?、驚き!、否定✕、素敵☆、微妙△、心に響く場合はハートの形など、線の近くにマークを書き足している。
本に書き込むという習慣は、自分のためだけにしている行為だが、このことが一度だけ人の役に立ったことがある。
妹が大学生の頃の出来事だ。
妹が、「お姉ちゃん、ヘミングウェーの『老人と海』って読んだことある?」と突然聞いてきた。
「あるよ。どうして?」妹は全く本を読まないタイプだ。活字嫌いのはずだ。なぜ文学作品?どうしたのだろう?
「明日が『老人と海』のレポートの締め切り日なんだ。手伝ってくれる?」
「えっ、明日なの?ところで、本は?」
「うん、これ。今日、本屋さんで買ってきた。」とバッグから取り出して、その本を見せてくれる。
「えーっ、レポート提出が明日なのに、今日買ったの?でも、一回は読んでみたんだよね?」
「まだ、読んでない。今から。」
「、、、。」
「お姉ちゃんだったら、『老人と海』読んでそうだなぁ、と思って。」
「、、、。」(呆れて言葉が出ない)
時計を見ると、もうすぐ夜の8時だ。ため息をついた私は、仕方なく本棚から自分の『老人と海』を取り出した。
本を開くと、印象に残った場面は線で囲んであり、なぜか所々に感想の書き込みまでしてある。その状態に改めて驚く。
読んでから時間が経っているため内容がぼやけていたものの、その線や書き込みを見たら即座に思い出すことが出来た。
それからの私は、病床の作家のように口頭で文章を早口で伝え、妹は担当の編集者のように必死で書き取っていった。
4時間後、文章を整え校正をして、レポート作成は無事終了した。妹は、本を1ページも読まずに感想文を書き終えた。
ちなみに、妹は書道を習っていたから、文章の文字は綺麗に整っていた。これなら、単位を落とすことはないだろう。
こんな時、私だったらどうするかな?
たぶん、徹夜してでも自分1人で仕上げると思う。人に頼る発想は全くない。
末っ子の甘え上手さ(世渡り上手さ?)につくづく感心した出来事だった。
※妹のゴーストライターになったのは、この時が初めてではない。上の本は私物。
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