サン・サーンス作曲の『白鳥』という曲がある。初めて聴いた時に、こんな美しい曲があるんだなぁ、とウットリした。
また、チャイコフスキー作曲の「白鳥の湖」(情景)を聴いた時には、物悲しいメロディーに胸がキュンとした。
優雅で繊細で美しい曲の雰囲気から、本物の白鳥はどんなに美しいのだろう?と子どもの頃に憧れていた。
しかも、英語で白鳥は『スワン』と言うらしい。何だか、名前の響きまでもがエレガントな感じがする。
そんなある日、父が『今から白鳥を見に行こう!』と言った。私は、喜んで車に乗った。
白鳥の飛来するスポットとして有名な古徳沼は、そんなに遠くないため、すぐに着いた。
私は、沼への小道を歩きながらワクワクしていた。音楽の世界でイメージしていた美しい白鳥を実際に見られるのだ。
沼に近付くにつれて、「グワッ、グワッ」という鳴き声が聴こえてきた。「カモかなぁ?」と思った。
沼のほとりでは、たくさんのカメラマンが三脚を立てて、白鳥の飛び立つ瞬間を捉えようとスタンバイしている。
カメラマン達のすき間から沼をのぞきこんだ私は、「えーっ!」と思った。
そこには、100羽を超える白鳥がいた。確かに、その姿はとても美しく素晴らしい光景だった。鳴き声を除けば、、、。
子どもだった私は、静かな雰囲気のクラシックの2曲から、白鳥の声を美しい澄んだ声だと勝手にイメージしていた。
チェロやバイオリンで奏でられるそれらのメロディーは、なめらかで繊細だ。そんな鳴き声だと思い込んでいたのだ。
「グワッ!グワッ!グワッ!」たくさんの白鳥の鳴き声は、かなり大きくて騒音に近い。悪声と言っても過言ではない。
壊れたラッパみたいな耳障りな響きだ。だから、心の中で「これは白鳥じゃない!声が違うよ!」と叫んでいた。
もちろん、帰りの車の中で、父に「白鳥はどうだった?」と聞かれて「キレイだった!」と答えた。(気遣いの長女。)
でも、白鳥の声を聴いた衝撃は、絶世の美女が、口を開いたら男の声でニューハーフだった、という感覚に近かった。
音楽は作曲家のイメージの自由な表現である、ということを痛感した出来事だった。
※今でも、白鳥を観る時は音声だけを消したい、と思っている。
オリジナルの記事を載せています。当サイト内の文章、情報(内容)、写真等の無断掲載及びリライトは、ご遠慮下さい。